「正解」という劇薬
テストや自習の時に問題を解いていて「○」だったら安心する。
「×」だったら不安になる。
これは多くの学生の反応。
だからテストの点数に一喜一憂する。
○×だけを気にする。
高校受験までならこの方法でなんとかやっていけるかもしれない。
でも、大学受験となると話は別。
例えば大学受験生のほとんどが受けるセンター試験。
センター対策の模試が何度も実施されたり、今の時期ならセンターの参考書・問題集がズラっと本屋に並んでいる。
受験生なら当然模試を受け、問題集に取り組む。
その勉強の中で○×に気をとられてない??
例えば、
センター国語の問題をやっていたとする。
正解が【問一③ 問二① 問三① 問四② 問五③】
自分の答えは【問一③ 問二② 問三① 問四④ 問五③】
となっていたとしよう。
問二と問四が間違っているので、当然問二と問四の解説を読んだり、本文を読み直したりして「やり直し」をするはずだ。
それは誰でもすること。
でもここで終わったら危険!!
なぜなら、「正解」だった問題は一度も見直されていない。
たしかに今回は正解だったが、
・本当に「根拠」がつかめた上で正解を選んだのか
・「根拠」もつかめずに偶然正解だったのか
判断できていない。
でも「正解」だったから安心して、自分は理解していると勘違いしてしまう。
○だったからといって安易に安心して次に行くなよ!
今回は「正解」にはなったが、「勘」で正解だっただけ。
こんなことを続けていたら成績が安定しないのも至極当然の結果。
毎年11月・12月を過ぎて、センターの問題を受験生が解き始めると
「私は2005年の英語で160点だった。」
「2003年の数ⅠAで85点取れた。」
といった「点数のみ」・「○の数のみ」にフォーカスされた受験生の声を聞くが
何にも意味はない。
【○の数】を気にしていいのは「本番」のみ。
本番以外は、○の数・×の数ではなく、
なぜ自分は「○」or「×」になったのかを考えよ!
そして、
本番で○になるために、自分に足りないものは何かを考えよ!
過去問は所詮過去問。
先輩達が解いてきた問題にすぎない。君達が受ける試験とは違う。
その点数を競って何になる。
・なぜ自分は正解したのか?
・正解にたどりつくために必要なものは何か?知識?考え方?
・本番に、違う素材で出題されても“同じ思考過程”で『正解への道筋』を「再現」できるか?
こういった「再現性」のある学習こそが、王道であり近道である。
×だった問題を考え直すのは当たり前のこと。
○だった問題も「なぜ○だったのか」を考え直さないと、本番での安定した点は望めない。
そのためには、 「なぜ」と問い続けること。
○×ではなく、
・なぜ自分は解けなかったのか(解けたのか)
・なぜ「最初の一歩」がそれなのか
・なぜそのような解法を用いるのか
・それは本番でも考え付くことなのか
高校生には、こういった「なぜ解けるのか?」にこだわった指導を、学生時の時間講師時代からしている。
その行き着くところは
「科目の好き嫌いは一切関係ない。キライでもいいから、本番で点を取れること」である。
(もちろん小中学生も点を取れることに絞って指導しますが、「科目の好き嫌い」という“甘え”をどこまで許容するかしないのかが異なります。)
せっかく青春時代真っ只中の大切な「時間」と「労力」をかけているんだから、望み通りの結果を出して欲しい。
無駄な努力は1秒もしてほしくない。
そう思って今まで受験生には接してきたし、そのスタンスはこれからもきっと変わらない。

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